「備前焼」と言えば、轆轤で土を成形し、乾燥させて、ただ焼いただけという、素朴な土味が人気の焼き物です。
そんな備前焼に、「例外」とも言うべき存在があったことをご存知でしょうか。長方形に型取られた4枚の板を、筒のように組み立てて、それに口と底を付けた「角柱型」の作品が。
そう、「角徳利」です。
備前焼の角徳利は、伝承では、18世紀後半の天明年間に、木村庄六という名の陶工によって作られた、と伝わっています(木村平八郎泰武著 古伊部神伝録より)。
このお洒落で異国風の徳利が、騒乱の幕末期の日本で流行していたとは、にわかに信じがたい話ではないでしょうか。伝来がはっきりしていなければ、江戸時代の作でなく、現代作に間違えてしまうほど、洗練されたデザインです。
この徳利の主な用途は、鞆の浦の特産品「保命酒」の容器向けでした。角徳利が、保命酒徳利とも呼ばれる所以です。
当時は、冷凍技術や冷蔵庫などありませんでしたから、古くから「酒の味が変わらない」「水が腐らない」と評判だった備前焼の徳利は、大変重宝されたことでしょう。
その保命酒は、江戸末期から明治期を生きた維新志士だけでなく、朝鮮通信使や、かのペリーまでもが愛飲したと言われています。
坂本龍馬や、新選組や、渋沢栄一などの著名人も、角徳利に入れられた保命酒を飲みながら、動乱の行く末や将来について、熱く語り合ったのかもしれません。
この銘酒があったからこそ、腹の底から本音を語り合え、結果犬猿の同盟関係が生まれた可能性もあると考えたら、夢が広がる話ですね。
この度、古陶磁鑑定美術館では、そんな江戸幕末期の文化や生活を象徴する歴史遺産「備前焼角徳利」に焦点を当てて、特別企画展を開催いたします。
古備前焼の名品や茶道具を展示する展覧会は、日本全国各地で行われてきましたが、「角徳利」にクローズアップした企画展は、聞いたことがありません。
角徳利は、備前焼の中でも異色で珍しい存在だったため、技巧に走りすぎているということで、これまでは余り評価されてこなかったのです。
さらに角徳利は、明治時代まで作られていたため、伝来品の数も比較的多いことから、時代に埋もれてしまっていたのです。
しかし、大正~昭和~平成~令和と時代が進み、改めてその作風を振り返ってみると、その斬新性や技巧の高さは、驚かされるばかりです。
大量生産、大量消費の現代だからこそ、江戸時代の丁寧な手作業の技術に惹かれ、そして温かみを感じるのではないでしょうか。
今日本人が振り返るべき本質が、備前焼、そして角徳利にあるのです。
企画展では、オンラインギャラリーのテーマを3つに分類して展示ページを設けています。
以下のご案内リンクから、展示会目次、及びギャラリーページへお進み頂けますので、江戸末期の息吹をどうぞごゆっくりお楽しみください。
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特別企画展「保命酒徳利と備前角徳利」トップページ
展示会 目次ページ: 特別企画展 ギャラリー目次
ギャラリーページ①: ギャラリー1「江戸幕末期の粋 備前角徳利」
ギャラリーページ②: ギャラリー2「献上品・御誂品としての角徳利」
ギャラリーページ③: ギャラリー3「窯印で見る江戸末期の窯元と陶工」
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