「慶長(江戸初)期」の古備前ギャラリー
「織部好みとへうげもの」の時代
名品No.4 窯変 筒水指
時代:慶長期 窯印:高台に有り
筒型の茶道具は、古田織部が活躍した慶長~元和年間によく使われました。
備前焼では、「筒水指」や「筒花入」が使われたことが、古田織部の茶会記に残っています。
この水指は、その当時の特徴を備えた逸品です。
表面に水漏れ防止用の塗り土が施されていますので、慶長後半から元和年間にかけての作品であろうと想定できます。
試行錯誤の慶長時代
茶道具や懐石食器の誕生期
慶長時代の天下宗匠、古田織部は、茶道具にさまざまな創意工夫を取り入れました。
器の造形に、歪み、動き、非対称性などを取り入れたのを皮切りに、懐石用の向付や、盃、香合、鉢、皿など、目新しい茶道具を次々に取り入れたのです。
そのため、茶道具専用の器が世の中に出回りだしたのが、この期以降と考えられます。
そういう意味で慶長期は、茶陶の創成期と言えるかもしれません。
焼き締め陶の雄 備前焼の意地
釉薬や陶器の流行と真っ向勝負
慶長期は、創造・創作の時代。
とは言え適材適所では、王道的な茶道具が重用されたようです。
備前焼は、茶会記の登場回数では、天正年間に比べて大きく数を減らしてしまいましたが、「建水・水指・花入」の分野では、引き続き存在感を発揮していました。
水が腐らない。酒の味が落ちない。花が長持ちする。
焼き物の革命期と言えども、「水」周りの道具では、備前焼に勝る陶磁器は現れなかったようです。
茶陶の流通を担った、茶道具商の存在
京都三条 せと物や町の発展
慶長期になると、茶の湯の文化は、町人や商人層にまで幅広く流行しました。
当時の数寄者たちは、各々好みの道具で茶会を開くために、新しい茶器を次々に求めたのです。
それらの制作や、流通を担ったと考えられているのが、「京三条せと物や町」の商人たちです。
浦井新兵衛や別所吉兵衛らの有力者の名前が伝わっています。
彼らが、このような器を備前に注文していたのかもしれません。
シンプルだから、いつでも通用するデザイン
織部好みの意匠性が派手になったのは、織部の死後
京都伏見の織部屋敷から出土した焼き物には、備前焼も含まれています。
その姿は、いわゆる豪快な造形の織部様式とは異なり、比較的素朴でシンプルな意匠性の器でした。
一見すると、織部好みの意匠性とはかけ離れた作風と捉えられがちですが、破調の美を前面に押し出した自由放任な手は、むしろ織部の死後、元和年間以降の出土品に見られる作風です。
つまり、この水指のような手こそ、織部時代本歌の様式なのです。
古備前焼きを、現代に活かす
傾奇者、へうげもの、の価値感とは
焼き物の良さに、「時代を超えて使用できる」点があります。
慶長期は、傾奇者やへうげものが流行した時代です。
この器には、その当時の過熱感が、そのまま詰まっているのです。
慶長時代の空気を、現代へ。
古来より伝わる器の存在が、二つの異なる時空間を繋げてくれるでしょう。
名品No.5 窯変 胴紐 水屋瓶
時代:慶長期 窯印:なし
一面に降りかかった胡麻と、炎の通り道との窯変とが混ざり合った水瓶です。
器表には、豪快な轆轤目と箆目文様が見られます。
一部の胡麻が剥落していますが、むしろ、その寂れた景色が、年輪の深さと趣を感じさせます。
このような窯変は、慶長年間後半~元和年間頃の作品に多く見られる景色です。
「寂」という美意識は、織部好みの代表的な様式だからです。
偶然の産物か、狙った焼け肌か
土と炎だけで、大きく変わる焼け肌
極論を言えば、窯の中に作品を置いて、松の割木を焚いただけ。
それだけで、備前焼のあらゆる窯変が生み出されるのです。
すなわち、燃料は、胡麻の景色に、炎の通りは、焼け斑や抜けの景色になり、胎土は成分によって、赤茶の褐色や紫蘇黒に焼けます。
匣鉢を使うことで、還元色を出すことも可能です。
この自然が作り出す変幻自在の景色こそ、備前焼の魅力でしょう。
焼き物の「年輪」は、高台で見る
底部には、何百年もの時代を生きた証が刻まれている
現代まで伝わる数々の古陶磁の作成年代を測定することは、非常に困難な作業です。
時代判別のしやすい作品もあれば、そうでない作品もあります。
しかし、その一つ一つには、作陶、流通、使用、保管、再流通までのドラマがあり、年輪が刻まれているのです。
その「年輪」を丁寧に分析し、正しい時代評価を行うのが、プロの鑑定士です。
古備前焼の年輪は、特に高台(底部)に刻まれています。
名品No.6 聖(高野聖) 香合
時代:慶長期 窯印:高台に有り
備前焼の香合は、茶会記では、古田織部が慶長六年の1601年に、初めて使った記録が残っています。
この高野聖を彫刻した香合は、まさにその当時の貴重な逸品です。
荒めの篩い土を使った胎土に、黄金色に輝く胡麻が前面に降りかかった優美な作でしょう。
この焼け肌は、京都三条せと物や町で出土した備前焼の景色と瓜二つです。
慶長期には、このような景色が好まれていたと判断できます。
素朴ながらも力強い、土の備前
江戸時代の細工物に通ずる、テストピースの片鱗
寛永年間になると、藩主の池田家による管理や介入が行われます。
与八、新五郎という名工に扶持を与えて作陶を推奨し、特産品を生み出そうとしたのです。
そして、その代表的なものが、「細工物」です。
江戸時代を通じて作られた備前焼の細工物の原点には、このような香合や透かし彫りの造形があったのです。
「茶の湯」と「禅」の親和性
侘び寂びは、「禅」に通ずる茶の湯の心
この香合に陽刻された「聖」は、高野聖などの遊行者(僧侶)を表したものでしょう。
ある僧侶が、自己の信心として作らせたのか、或いは、熱心な信者が信仰のために作らせたのか、それとも、寺院の茶会で使われるために誂えたのか。
想像するだけで、夢が広がる逸品です。
名品No.7 尻張徳利 舟徳利
時代:安土桃山~慶長期 窯印:胴・高台に有り
土味を存分に味わえる、無釉の良さが凝縮された美しい徳利です。
時代が下ると、徳利や水指、花入など水物を入れる容器には、漏れ防止のための塗り土が施されるようになりますので、この作品はそれ以前の古い作品だと分かります。
大変割れやすいため、現代まで伝わる伝世品は、非常に貴重です。
この徳利の胴部には、二重丸の窯印が押印されており、景色としても見ごたえがあります。
備前徳利 酒の味が変わらない名器
約450年前の酒の味を伝える、変わらない土
備前徳利は、「酒の味が変わらない」「水が腐らない」「酒が旨くなる」と言われ、昔から日本中の愛飲家たちに、愛用されてきた器です。
当時の酒飲みは、どんな味わいを堪能していたのでしょうか。
古備前徳利があれば、それを今でも実感できてしまうでしょう。
それは、古備前焼が、450年程経過した現代まで、変わらない「土」を保ち続けているからです。
「窯印」に魅せられて
単純だから、魅了され、引き込まれる
江戸期以降の窯印は、高台や腰下部などの目立たない箇所に、小さな判印を押印するようになります。
一方、安土・桃山期までの窯印は、箆や印を目立つ場所に大きく彫り込んでいます。
そのため、窯印の記されている位置や、大きさ、押印の強弱によって、時代を推し量ることが可能になります。
「窯印」は、たった一つのシンプルなデザインから、実に様々な情報を私たちに伝えてくれるのです。